一年後、変わっているために

今、目の前の景色から変えていく生き方論

やりたいことを制御する者とは

自分がやりたいことを制御する者とは、それを、反対する相手、嫌な顔で文句を言う相手、しばらく嫌な雰囲気を続ける相手だと思ってしまうところだが、実は、『傷つきたくない』、『傷つけたくない』、『反対されて話し合うのが苦痛』、『相手の嫌がる顔を見たくない』と思っている自分自身である。

それに打ち勝つことは、それからの自分の人生を大きく変えることとなる。

しかも、とてもとても良い方向に。

しかしなかなかそう簡単にはいかない。

勇気を振り絞って本音を伝えても、やっぱり予想通りの答えが返ってくる。

予想通りの反論っぷり。

今まで相手の思考に従わなければならないと洗脳されてきたのだから、それ以上先に進めない、ブロックがかかる。

『やっぱりかー…』

と思って黙ることにする。

本音を伝えたところで、意見は通らないし、自分の考えに賛成もしてくれない。

やっぱり言わないことにするという結果になってしまう。

でも、これって、助けてくれる第三者なんていない。

誰かが介入してきたところで、この相手はその人の言う通りにする訳がない。

実に厄介な問題だ。

押してダメだら引くしかないのか。

それとも、押し方を変えるのか。

自分の奥の奥の奥にある本音を、思い切って伝えてみるのはどうだろう。

きっと、相手はそれに向き合いたくないからその場から逃げる選択をするだろう。

また解決は先延ばしに?

でも…

生まれてきた意味は?使命は?

このままで誰が喜ぶ?

命を与えてくれた親や神様は喜ぶ?

子供達が喜ぶとでも思い込んでる?

誰も喜んでなんかいない。

そんなところにエネルギーを注いでいるなんて実にもったいない。

せっかく与えられた素晴らしいものを、こんな狭い人間関係でしか使っていないなんて。

心から応援し、助けてくれる親や神様に失礼だと思う。

与えられた命は、あたかも正当化しているような、常識かのように思わせるような、自分勝手なわがままのくだらない制御によって、もし抑えられているのなら、このままではいけない。

何とか乗り越えなければ…と、私はまだ苦戦しているが。

 

まず、“この事実に気がつくこと”が、とても重要。

 

仕事でも家庭でも友達関係でも、共通に言えることである。

気がついて、希望と信じる心を持ったら、ちゃんと導かれるから。

f:id:masaecolor:20200427070310j:image

 

 

 

 

相手は変わらない

いつまでその不満を我慢し続ける?

自分が我慢しているのをわかっているのに、それを相手がそうしてくれて当然だと感じているのなら、その相手は自分のことを条件付けでないと愛せない証拠だ。

無条件の愛というのは、相手が何者であれ、自分の全てを捧げることができること。お金も時間も命でさえも。

『この人は◯◯してくれるから』

『この人は収入の安定があるから』

『この人はご飯を作ってくれるから』

『子供の世話をしてくれるから…』

相手が自分に◯◯をしてくれなくなったらどうだろう?

相手の収入がなくなってしまったらどうだろう?

ご飯を作らなくなったらどうだろう?

これらの考え方の人は、まぁ騒ぐだろう。

こういうタイプは自分が大事だから、自分に良くしてくれる相手が好きなだけ。

自分にとって都合が悪くなれば、相手を責める。

それが、条件付きの愛という証拠。

 

真の愛ではない。

 

しかし本人は、それに全く気がついていない。

自分はしてあげている、◯◯をしてくれないなら自分が被害者だと思っているのだ。

そして、相手に依存してしまっている。

多くの場合、相互依存だ。

自分がいなければ、相手は生きていけないと思い込んでいる。

生きていけないわけがない。

乳飲み子であるまいし、手足も目も口も耳もついている。

助けてくれる人だって必ずいる。

本当はほっといても、相手は好き勝手に生きていけるのに。

依存して、相手の人生の邪魔をするのはもう辞めにしよう。

例え自分が転職や引越しなど、これからどんな変化を望んでも、自分らしく、生き生きと生きていく姿を心から応援してくれ支えてくれる人こそ、生涯そばにいるに相応しい。

自分に依存している相手に依存するのは、早めに終わりにすべきである。

無理にそのようにしないとしても、必ずそのような流れにはなるのだが。

だから、自分の胸に手を当てて、心の本当の声を聞いてみよう。

f:id:masaecolor:20200426151658j:image

 

 

 

 

涙は心の浄化

昨日、こんなことがあった。

お仕事の依頼。

占い鑑定。

そんなお仕事を始めてかれこれ13年ぐらい経つだろうか。

といっても、子育てに追われて何年もお休みしていたから、再稼働し始めたのは1年前の誕生日から。

まぁそれも占い的にはスタートするのに最適な時期だったからまた始めたわけなのだが。

面白いことに、無理にそのように当てはめなくても、自然な流れでそうなってくる。

思考も感情も。

YESとNOが心の中ではっきりしてくるのだ。

その声にただ従わざるを得なくなってくる。

人の生はそのように導かれている。

それはさておき、昨日ご依頼下さった方、原因不明の体調不良で長年お悩みとの依頼だった。

あら、可哀想に…。

これもご縁、私を選んで依頼してきてくれたのだからという気持ちで、誠心誠意対応させて頂いた。

本人もまだ気がついていなかった体調不良の原因をすぐに言い当て、対応策も丁寧にお伝えした。

私の占いは、当たるのが当たり前。

それをお相手にどう伝えるかが力量。

心がけていることは、

『寄り添うこと』

それで今回の方も、大変喜んで前向きになって下さった。

それだけで私も嬉しい気持ちになったのだが、さらにこの方は追加料金を支払って下さったのだ。

私からお願いした訳ではなく、お礼の気持ちということで。

私は、そんなに喜んで頂けたんだと思うと、嬉しくて涙が出てきた。

涙を流すことは浄化である。

それまで我慢して我慢して蓋をして抑えてきた自分の心の解放である。

昨日のことなので、まだ何が解放されたのかは探っていないのだが。

何かが癒され、ステップアップしたには違いない。

まだまだ、流されていない涙がいくつも溜まっているのだろう。

我慢強い人ほど、その自分の本当の心に気が付かずに過ごしてしまっている。

私もその一人。

だから、自分の心の本当の声に従って生きて欲しいのだ。

それが自然な姿だから。

不自然はいつか壊れる。

いつか壊れる時が来るまで、自然に身を任せて待つしかないのか。

答えがわかっていても、そのプロセスまで知る必要がないため、それはドキドキワクワク、時には寂しく悲しい。

私はそのゴールに辿り着くことを知っているから、そのためにただ今を一生懸命生きるしかない。

早くゴールに辿り着きたいから、そのために今何をすべきか、やらねばならないことに全力で取り組んでいくだけだ。

できればそのプロセスを楽しみながら。

f:id:masaecolor:20200425070946j:image

 

 

 

いつが本番?

今でしょ!

それはわかっている。

だけど私は、いつも『今は準備中』。

でもそれは『目標』に対して。

目標を達成してからが本番の様な気がしていて、いつも、今は本番の為の準備中なのだと自分を納得させてしまっている。

おそらくその考え方は間違いのような気はする。

今まではそうしてきた。

だから変えていかなければならない。

今も、いつでも、その状況は本番であること。

準備といっても、準備のための本番中。

我慢の最中でも、先が見えない不安な中でも、いつでもそれが、人生の中の本番中。

まだやりたいことができていなくても、そのために試行錯誤している過程も本番中。

連絡を待つその待ち遠しい時間も、本番中。

間違いなく、準備中でもそれが人生においては常に本番なのである。

待つ時間は、学びの本番であり、成長の本番である。

間違いの行為中も、必要な事なので、本番なのである。

だから私は、今は準備中の本番だけれども、いつでも全力で生きたい。

心を軽やかにするために、今は全力で全てのことに立ち向かいたい。

まだまだ未熟だから。

どんなに、みんなから『すごいね!』って言われても、私はまだまだ未熟だから。

死ぬ頃までには、悟りを得る近くまで行ければいいな。

できればこれからも、私一人じゃなくて、私と関わる人と成長しながら、本番を共に生きていきたい。

f:id:masaecolor:20200423130644j:image

 

 

ラジオ体操大好き

今朝、まだ家の中も静かな頃、寝室の窓から見える豊平川の方を眺めていたら、ラジオ体操をしている人達が目に入った。

まだ寒いだろうに、頑張っている。

北海道の朝なんてまだ冬の様な気温なので、気合を入れないとラジオ体操なんか外でできやしない。

尊敬の眼差し。

でも、私はラジオ体操が大好きなので、いいなぁ〜やりたいなぁ〜と思ってしまう。

ラジオ体操は簡単な動きだが正しくやると身体がほぐれて血行が良くなり肩こりもしなくなるし、朝のまだ車通りも少ない綺麗な空気を吸うことも気持ちが良い。

そして、早起きは良い事というイメージが根付いているため、何だか良い事を達成した気分になれる。

そして、運が良くなる気もするし、他の人よりも頑張っている感じがして優越感にも浸れる。

つまり、一人で勝手に良い気分になれる最高のものなのだ。

家の中だとぶつかるし本気でできないので(笑)、やはり外が良い。

公園で木々に囲まれ、もうすぐ花も咲き、近所のお年寄りと穏やかなコミュニケーションを取り、一緒に行った子供達と笑顔になれる。

子供の頃から馴染みのあるラジオ体操は、今でも変わらず続いていてくれている。

もうすぐ5月になればうちの近所の公園でも始まる。

コロナの影響でやるかどうかまだ分からないが、また今年も行きたいと思う。

6人の子供達を連れて行くのはちょっと大変さもあるが、その苦労を買ってまでも行く価値が絶対にあるから。

これも、夢や目標を叶えるためにプラスの要素となるだろう。

 

f:id:masaecolor:20200423071507j:image

 

 

幸せとは

若い頃は単純で、お金と時間の自由があればそれが一番の幸せだと思い、そこを目指していつも頑張っていた。

しかし歳を重ね経験を重ね、感じることが変わってきた。

まず、お金と時間の自由があっても必ずしもそれが幸せとは限らないこと。

そして、幸せを感じる内容は人それぞれ違うということ。

あるとき、オーラソーマの勉強でマカオへ行ったとき、一緒に学んでいた受講生の中に、東京にいくつも不動産を所有し、カラーセラピーや食器、ジュエリーなどのプロデュースをしているとても綺麗なお姉さんに出会った。

その方は想像もつかないほどお金持ち。

芸能界はもちろん各界の著名人とも繋がりがあるような方だ。

私は仲良くさせてもらい、マカオ滞在中には何度も一緒に食事をしたり、エステに行ったりカジノに行ったりした。

憧れ中の憧れの人だ。

こんな風になりたいなぁ…という思いで、あることを聞いてみた。

 

『みさこさんにとって、幸せとは何ですか?』

 

すると、予想もしない答えが返ってきた。

『例えば、さっきあの受付で、私の英語が何とか通じて、意思疎通ができたことかな…あ、何か伝わった!みたいな。そういうのに幸せを感じる。』

と。

すでにお金も時間も自由な方にとって、そんなことは幸せとか感じるレベルではないのだということを、初めて知った瞬間だった。

それから私は価値観が変わっていった。

もちろん、幸せとはお金や時間の自由ということではないことを知ってから。

続く…

f:id:masaecolor:20200422075614j:image

 

 

早起きは得

今まだ0歳の娘と一緒に寝ており、この子はとても早起きである。

4時前に起きてしまったときには、頑張って寝かしつけようとはするが、寝ずに遊んでしまっている。

ハイハイができるようになったので、目を離したすきにベッドから落ちてしまってはいけないため、私はトイレにすら行きにくい。

だっこして行けばよい?

右には2歳の子も寝ており、だっこしてベッドから下りるのにも障害物があるため、寝起きでなかなかその力は湧いてこない。

困ったものだ。

寝ようにも寝れないが、電気をつけてガチャガチャ行動するにも他の人を起こしかねない。

そのうちだんだん外が明るくなってくる。

もう、二度寝もすることなく私はそのまま起きることとなる。

 

ああ…もうちょっと寝れたら良かったなぁ

 

とは思うのだが、この時期この時間帯に起きていると、多くの人が見れないとても素敵な物が見れるのだ。しかも天気が良ければ毎日。

 

それは…

 

真っ赤に光る大きな朝日。

 

すっっごく綺麗で神秘的。

赤い光が家の中にまで届いて来る。

これが私は大好きなのである。

朝日が赤からオレンジに変わり、オレンジから黄色に変わって行くこの移ろいをじーっと見て太陽のパワーを感じるのが好きなのだ。

この世界全てに、この明るい光を毎日届けているなんて、すごい存在だなぁなどと考えながら。

朝日が昇るこの時間、私はまるで太陽を独り占めしているような気分になる。

そして贅沢なことに、この巨大な朝日のパワーを浴びさせて頂いている。

実に素晴らしい。

毎日、世の中でどんなことがあっても、必ず光と共に朝をもたらす。

そして無条件に誰にでも光を与える。

その光を誰が生かそうが、誰が無駄にしようが動じることなく、また次の日も必ず、無条件に全てに光を届けてくれる。

 

この素晴らしい慈悲や博愛さはなかなかできることではないが、見習いたいものだ。

 

f:id:masaecolor:20200421053126j:image